伊勢神宮御正殿と建築

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伊勢神宮御正殿と建築

伊勢神宮は125の神社から成るお社の集合体で、その正式名称は「神宮」と呼ばれています。神宮は、内宮(皇大神宮)、外宮(豊受大神宮)の2つの正宮を中心に成り立っています。

なかでも内宮は、最も尊いお宮とされています。皇室の御祖先であり、日本人の総氏神とされる「天照大御神」を御祭神としてお祀りし、約2000年の歴史を誇っています。

神宮の中心として、また全国約8万社の神社の中心的存在として、格別の崇敬を集めているのです。

内宮(皇大神宮)

(内宮)皇大神宮|写真提供:神宮司庁

外宮は、内宮から約5km離れた場所に御鎮座し、私たちの生活全般に関わる衣食住を含む、全ての産業の守り神であり、天照大御神さまのお食事を司る豊受大御神が祀られており、約1500年の歴史を誇っております。

 

伊勢神宮では、日本最大の神事である「神宮式年遷宮」が執り行われます。この神事は、20年に一度、新たなお宮を建て、神様を新しいお宮へお遷りいただくためのお祭りです。

内宮は持統天皇4年(690)に、外宮は持統天皇6年(692)に初めての式年遷宮が行われ、これまで約1300年もの間、受け継がれてきました。

室町時代には約120年ほど途切れる期間もありましたが、人々の篤い信仰によって、この伝統神事は守り続けられてきました。

 

この神事の継続によって、現代を生きる私たちは神社の創建当初から変わらない姿を参拝でき、神話に基づく日本の歴史を身近に感じることができるのです。

 

伊勢神宮の建築様式は「唯一神明造」と呼ばれ、最も格式高い唯一の建築様式に基づいて建造されています。

今回は、建築に焦点を当てて、伊勢神宮のことをご紹介させていただきます。

 

目次

1.伊勢神宮の歴史

約2000年前、天照大御神の鎮座地を探して各地を巡っていた倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神のお告げにより五十鈴川のほとりに内宮を建てたのが伊勢神宮の起源といわれています。

倭姫宮

倭姫命を祀る倭姫宮|写真提供:神宮司庁

内宮の御鎮座から約500年後、第21代雄略天皇が夢に現れた天照大御神のご神託に従って、丹波の国から豊受大御神をお招きしました。以来、豊受大御神は食事を司る「御饌都神」として伊勢神宮の外宮に御鎮座しています。

 

神宮宮域林

両宮後方には広大な山が広がり、内宮後方の神路山・島路山、外宮後方の高倉山は宮域林とされ、神宮境内と同様に古くから丁重に管理されてきた由緒ある森林です。持統天皇4年(690)から始まる式年遷宮において、宮域林は遷宮の御用材を伐り出す御杣山(みそまやま)として定められ、そこから伐り出された檜が新たに造替するお宮の御用材として用いられてきました。

 

式年遷宮の回数を重ねるごとに御杣山の檜材は減少し、幾度かの変遷を経て江戸時代中期以降は木曽山が御杣山として定められ、現在に至ります。

しかしながら、式年遷宮の最初の儀式である山口祭・木本祭(このもとさい)は元々の御杣山である神路山・高倉山の山麓で行なわれることは1300年以上変わらない伝統です。

 

2.日本最大のお祭り「神宮式年遷宮」とは 

「神宮式年遷宮」は、持統天皇4年(690)に始まり、前回の平成25年(2013)で第62回を数え、約1300年間にわたり受け継がれてきた日本最大のお祭りです。

 

この神事は、20年に一度、神様の住むお宮を建て替えて、総檜で造られた真新しいお宮へお引越しいただく儀式です。

まず宮域林にて山の神様に祈り、御用材を伐ることから始まり、造替が完成した後には感謝の祈りを捧げ、御神体を本宮から新しいお宮へと遷します。約8年をかけて行なわれる全ての過程が神事であり、これら全てを総称し神宮式年遷宮と呼ばれています。

 

式年遷宮で社殿に用いられる木材は全て檜で、伐り出される山は御杣山と呼ばれ、江戸時代ごろより山の保護管理政策が厳格に徹底されてきました。

前述の通り、檜材の減少とともに御杣山は幾度も変遷を辿ってきました。

詳細は、以下の記事をご参照ください。

御杣山の変遷

 

新しいお宮は、隣接する敷地に建てられるため、神宮のお宮は20年に一、鎮座の位置が東と西の御敷地を行き来します。

 

遷宮の際、新しくするのは御正宮(ごしょうぐう)や別宮、宇治橋などの建築物だけではなく、714種1576点にものぼる御装束や神宝も全て新調され、新しいお宮へ遷されます。

 

3.伊勢神宮のみに伝わる、建築手法「唯一神明造」とは 

 

唯一神明造とは?

神明造”は、建築構造の類型化のための総称ですが、“唯一”とあるのは、伊勢神宮正殿とまったく同じ神明造はほかに存在しないことに重点が置かれた名称であることを意味しています。

実際、神明造の神社は他にもありますが、伊勢神宮の神明造を他の神社が模倣するのは憚られるとして避けており、そのため神宮にしかないという意味で唯一神明造と呼びます。

 

唯一神明造の特徴

最大の特徴は、掘立柱式の円柱を地中に埋めて建てられた高床式の建物であるということ、屋根は切妻造の平入で萱葺き。棟の上に鰹木(かつおぎ)が並びます。破風板の延長上には千木(ちぎ)が高くそびえ、棟の両端を棟持柱(ムナモチバシラ)で支え、檜の素木造りであるというのが主な特徴です。

弥生時代にまで遡る高床式穀倉の伝統様式の原型を今に伝えています。

これらの特徴的な構造について詳しく見ていきましょう。

建築中の神明造(折置組)

図面:『瑞垣』第222号|図面提供:神宮司庁

① 掘立柱式(ほったてばしらしき)

掘立柱は、地面に穴を掘り、その穴に柱を入れ、埋め戻して立てた柱です。直接土に触れるため腐朽しやすく、建築維持の観点からは好ましくないですが、日本古来の建築方法です。大陸建築伝来以降、礎石式が増えるなか、古代から伝わる伝統様式を現世に伝えています。

 

② 棟持柱(むなもちばしら)

神明造の最も特徴的な要素の一つは、棟持柱です。通常の建築構造では、柱はその上に架かる梁まで伸びますが、棟持柱は梁の位置で終わるのではなく、屋根頂部にある棟木を直接支える役割を果たしています。このため、棟持柱を立てる位置は梁を避け、建物の妻側の壁面より外側に独立して配置されます。

 

さらに、棟持柱は棟木を安定的に支えるために内側にわずかな傾斜を持たせる特徴があります。この傾斜により、棟持柱は屋根の重みをしっかり支え、建物全体の安定性を確保します。この特殊な柱の配置と傾斜は、神明造の建築構造を特徴づけ、その儀式的な意味と機能を強調します。

 

③ 千木(ちぎ)

千木とは、屋根両端に配置され、交差して天に突き出た2本の斜めの部材です。通常、千木の多くは置千木と呼ばれ、別の木材で作成され、大棟の上に乗せます。伊勢神宮の千木は、古典的な形態を示すもので、破風板を延長したものであり、破風板の上部が屋根を突き抜けています。

 

千木は古墳時代の宮殿建築にも使われており、古墳から発掘された家型埴輪の屋根にも同様の千木が見られます。

古事記には「氷木(ひぎ)」という表現で言及されており、大国主命の宮殿を、国を譲るための天孫の宮殿と同等に造ってほしいと登場します。この表現は延喜式の祝詞にもあり、神社の本殿を讃える際の常套句として使われています。

古典的な千木の欠点としては、屋根に突き出すために雨仕舞いが難しいことが挙げられます。そのため、他の神社では置千木に変化したと考えられています。

 

外宮正殿模型|写真提供:式年遷宮記念せんぐう館

④ 鰹木(かつおぎ)

鰹木(堅魚木、勝男木)とは、大棟の上に並べ置かれた棒状の部材です。主に屋根が飛ばないように安定性を保つ方法の一つとして、重しの役目も担っています。 

内宮(皇大神宮)_千木と鰹木|写真提供:神宮司庁

伊勢神宮の鰹木は、他の神社のものと比べて太く、数も多い特徴を持っています。鰹木は古事記において、雄略天皇の事績にも登場します。これによると往時は、鰹木は天皇の宮殿にのみ許されるとの認識があったことがわかります。家型埴輪にも鰹木は見られ、首長の住居を示す埴輪にのみある例もあります。

神社本殿の創始にあたり、千木と堅魚木は高貴な建築の象徴として屋根に上げられたのです。

 

⑤ 切妻造の萱葺屋根、平入

切妻造とは、妻側(建物の短辺)の両端を垂直に切り落としたような形状の屋根のことです。これは最も単純な屋根形式で、神社本殿の基本形であり、神明造の屋根形式は基本的に切妻造を採用しています。

 

萱葺は、薄(すすき)などの茎で葺いた屋根のことで、非常に古典的な屋根構造の代表です。古代の出雲大社も萱葺であったと考えられています。

 

また、屋根と建物の出入口の位置関係を示す呼称が大きく二つに分けられ、平入を採用しています。

『平入』・・・棟と並行する側に出入口がある場合

『妻入』・・・棟と直角方向に出入口がある場合

 

屋根頂部は、通常の大棟とは異なり、二枚の障泥板(あおりいた)が屋根の頂部の萱を挟んで固定し、その上に甲板(甍覆(いらかおおい))を載せています。

 

⑥ 鞭掛(むちかけ)

鞭掛は、破風板上部に4か所4本ずつ突き出た棒状の部材です。現代では装飾的な要素が強いと考えられていますが、古代には破風板を屋根の萱にしっかりと留めるために必要な部材であったと考えられています。このように伊勢神宮の正殿は、古代日本の宮殿形式を継承し、神社本殿の創始期の形式を保持し続けていることがわかります。

これらの要素は、伊勢神宮の建築において歴史的な伝統と神話が密接に結びついていることを示しています。 

 

⑦ 円柱の柱

伊勢神宮の柱はすべて円柱が用いられます。柱には円柱と角柱がありますが、円柱は角柱の角を落として作られるため、材木から切り出す際に歩留が悪く、手間が多くかかります。

 

このため、日本建築では、円柱は正式な柱、角柱は略式の柱とされており、一般的に本殿では身舎(もや)は円柱、庇(ひさし)や向拝(こうはい)は角柱とするなど使い分けがあり、身舎のみからなる伊勢神宮正殿は正式の柱である円柱のみが使われているのです。

 

⑧ 檜の素木(しらき)造

伊勢神宮の建築構造は、屋根以外の部分に関して、全て檜の木材のみを使用し、土壁や漆喰などは用いず、板壁であることが基本とされています。また、木材に対して塗装なども施さず、自然のまま使われています。

そのため、建物は美しい檜の木肌が太陽の光を浴びて神々しく輝き、見た目の華美な装飾に頼ることなく、日本独自の美意識に基づいて威厳が保たれ、神秘的な美しさと厳かな雰囲気を醸し出しています。

 

4.内宮と外宮の違い 

内宮と外宮はどちらも唯一神明造ですが多少の違いがあります。

図面:『瑞垣』第222号|図面提供:神宮司庁

① 千木

千木の先端の削ぎ方には二種類あります。

内削・・・先端を水平に切り、地面と水平になる形状。内宮正殿に用いられています。

外削・・・先端を垂直に切るもので、外宮正殿に用いられています。

皇大神宮(内宮)

内宮(皇大神宮)_千木と鰹木|写真提供:神宮司庁

豊受大神宮(外宮)

(外宮)豊受大神宮_千木と鰹木|写真提供:神宮司庁

外削は男神に使われ、内削は女神に使われるという説もあるようですが、実際の神社の多くは、男神、女神に関わらず外削が主に用いられます。

これは、木材を横に切断した場合、繊維が断ち切られ、水がしみこみやすくなり、その木口が上を向く内削は、雨水が浸入して腐朽の原因となるためです。そのため、木材の耐久性を考えると外削の方が理に適っているといえます。

 

また、千木には風穴が開いていますが、内宮正殿では最上部の風穴が千木の削ぎに掛かり、先端が二股に分かれている特徴があります。

 

② 鰹木

鰹木の数にも違いが見られ、内宮では10本、外宮では9本載せられています。

 

③ 正殿の平面面積の大きさ

正殿の平面の大きさにも違いがあります。

〔正面〕

内宮が3丈6尺9寸(11.18m)、柱間1丈2尺3寸(3.73m)の三間、

外宮は3丈3尺6寸(10.18m)、柱間1丈1尺2寸(3.39m)の三間であり、正面は内宮の方が長い。

 

〔側面〕

内宮が1丈8尺(5.45m)、柱間9尺(2.73m)の二間、

外宮は1丈9尺(5.76m)、柱間9尺5寸(2.88m)の二間であり、側面は外宮の方が長い。

この大きさはそれぞれ時代によって変化があるようです。

 

④ 構造の違い

建築構造にも大きな違いがあり、桁と梁の上下関係が現状では異なっています。

内宮は桁が下、梁が上となる京呂組(きょうろぐみ)、

外宮は梁が下、桁が上となる折置組(おりおきぐみ)です。

また、内部の板敷きの方向が違い、床板を載せる桁行と梁間に渡した床組みの上下関係が内宮と外宮では逆であり、その床組を支える束の有無や廻縁の支え方の違いなどがあります。

 

⑤ 社殿の配置

外宮と内宮では、社殿の配置も異なります。

内宮の社殿は南向きで、正殿の北側左右に御装束神宝などを納めた東宝殿と西宝殿があります。 

外宮の東宝殿と西宝殿は正殿の南側左右に配置されており、食を司る外宮のみに御饌殿があります。御饌殿の建築様式は独特で、平入切妻ですが、柱を使わず、横板壁と棟持柱2本だけで屋根を支えています。

板校倉造(いたあぜくらづくり)と呼ばれるこの造りは正倉院などの校倉造とともに現存する貴重な建築様式といわれています。

 

5.両宮に用いられる銘木の伝世

前述の通り、式年遷宮に用いられる御用材は全て檜が用いられてきました。

 

木曽山林には、伊勢神宮の御用材を伐り出すための森があり、江戸幕府直轄領の尾張藩は、「檜一本首一つ」という大変厳しい決まりを設けるなど、木曽山林の木々を守ってきました。

明治時代には、「神宮備林」が制定され、遷宮の御用材を守るための動きは活発化しました。

 

時代ごとに、こうした適切な山林保護政策が取られた結果、現在では250~300年生の檜が成長するまでに至り、森の循環にも好影響を与えています。

これはひとえに、皇室の御祖先であり、日本人の総氏神とされる天照大御神をお祀りする伊勢神宮の式年遷宮のためであり、日本人の信仰や精神性が礎にあり、文化伝統の最たる例といえます。

樹齢300年の木曽檜

樹齢300年の木曽檜

本来の御杣山である神路山・島路山、高倉山の檜も順調に育っており、第62回式年遷宮にて、内宮では全体の約24%の檜材を内宮南方にひろがる宮域林で調達でき、御用材として使用されました。

 

幕藩体制や政の中心が代わろうとも、各時代の権力者が山を適切に守り、伝統ある神事を受け継いでくれた証が、現在の伊勢神宮の建築物です。

少しずつ成長を続ける檜が今後も順調に生育し、本来の御杣山から御用材が伐り出せるようになり、次世代の式年遷宮へと永遠に繋がっていくことを心より願っております。

 

〔結びに代えて〕

本サイトにおける主題である、「銘木の伝世」を構想する際に、その起源は伊勢神宮にあるのではないかと思い至りました。

宮域林として指定された山から得られる木材や御用材に用いられた木材は、銘木の流通過程において最大の敬意をもって取り扱われています。それらは特に貴重な場面で使用されることが多く、そこに訪れた人々は「伊勢神宮に由縁のある銘木」という言葉に、神聖で格別の気持ちを抱きます。これほどまでに銘木の価値を高める伝世は唯一無二であろうと考え、伊勢神宮の建築、御杣山の変遷などについて詳しくご紹介したいと熱がこもりました。

 

約1300年つづく神宮式年遷宮の始まりも、木の神様への祈りから始まります。こうした史実と照らし合わせると、つくづく日本人は木とともに歩んできたということを考えさせられます。

木に生かしていただいている職業柄、銘木を主観において構成しておりますが、銘木を通じて伊勢神宮の建築、そして日本人の心の故郷ともいえる伊勢神宮を知るきっかけづくりに繋がれば幸いです。

 

〈写真提供〉 神宮司庁

※サムネイル写真「内宮参道」の写真も神宮司庁の提供によるものです

 

〈参考文献〉

『瑞垣』第222号 神宮司庁[編](2012)

『伊勢神宮 式年遷宮と祈り』石川梵[著]集英社(2014)

『伊勢神宮のすべて』青木康[編]宝島社(2013)

『伊勢神宮と日本人 式年遷宮が伝える日本のこころ』三橋健[著]河出書房新社(2013)

『分解日本の建造物』香川元太郎[著]東京堂出版(1997)

『伊勢神宮 魅惑の日本建築』井上章一[著]講談社(2009)