盆栽を美しく魅せる銘木の設え
平安時代に宋から伝わったとされる盆栽 –
盆栽の伝承を語るうえで貴重な史料として、日本最古の盆栽の絵は、約700年前の鎌倉時代に描かれた絵巻物に見られます。
主に貴族などの上流階級で美術鑑賞されてきた盆栽ですが、江戸時代後期になると盆栽は徐々に民衆にも広まり、人々の盆栽への憧れは当時の浮世絵にも反映されました。
明治時代に入ると、1873年には盆栽がウィーン万国博覧会に出展され、世界に広く紹介されました。
板橋貫雄//〔模写〕『春日権現験記』第5軸,写,明治3(1870). 国立国会図書館デジタルコレクション
そして現在、日本が世界に誇る盆栽の美と伝統文化を広く紹介するため、挑戦を続けているのが、春花園BONSAI美術館の小林國雄氏です。
小林 國雄(こばやし くにお)
1948年4月2日 東京都生まれ
平成元年(1989)に日本盆栽作風展で「内閣総理大臣賞」受賞
その後、同賞を4度受賞
国風展において「国風賞」を16回受賞し、200人以上の国風展入選者を育成
盆栽の伝統と美しさを伝える講演会を世界12カ国以上で行なう
平成14年(2002) 春花園BONSAI美術館開館
令和2年(2020)文化庁長官賞表彰
同氏は、内閣総理大臣賞をはじめ日本一の賞を30〜40回獲得、数々の賞を受けてきました。1996年からはイタリア、アメリカ、スイス、マレーシア、中国など世界各国を巡り、盆栽文化の素晴らしさや美意識、格式の高さを世界に広めるために講演やデモンストレーションを積極的に行なっています。
そのため、小林氏の活動は国内はもちろん海外でも高く評価されています。
江戸川区に位置する春花園BONSAI美術館は、小林氏が盆栽を披露する美術館として2002年に開館しました。1億円という価値の高い盆栽をはじめ、素晴らしい盆栽が美しく展示されています。
建物には、小林氏の純粋な盆栽愛が込められており、本人自ら銘木や建築資材を購入し、3度の増築を経て完成致しました。
小林氏は、盆栽に求められる「格式」、「品」、「美意識」を高めることを常に考え、実践してきました。その過程において、屋久杉や秋田杉など貴重な本物の銘木を使った空間の中心に盆栽を据えることで、盆栽の魅力を最大限に引き出すことに成功しました。
今なお、盆栽の格式、品、美意識を追求されている小林氏に、「盆栽と銘木」についてお話を伺いました。
小林氏は28歳で家業の園芸農家を離れ、盆栽の世界に進みました。独学で盆栽を研究し続け、37歳の時には出展した作風展で受賞。その後、41歳の時には「内閣総理大臣賞」を受賞。一度でも受賞するのが難しいとされる同賞を、その後も計4度受賞いたしました。
彼の業績は止まることを知らず、数々の賞を総なめにし、何度も日本一のタイトルを獲得。50歳までの間、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍しました。
賞状の数々
ところが、順風満帆だった小林氏は突如、ある事件に巻き込まれ、奈落の底へ突き落とされることになったのです。
事件を機に、同業他社からの執拗な嫌がらせなども受け、精神的に追い詰められ、「電車に飛び込んでしまおう」と、自殺を考えるまでに至りました。
そんな中、小林氏を救ったのは奥様の一言でした。
「お父さん、死ぬのはいつでもできる。でも、彼らを見返してからでも遅くないんじゃない?」
この言葉が、小林氏を奮い立たせました。
「よし!じゃあ見返してやろう。それならば、これまで誰もやってこなかったことに挑戦しよう」と決意。
それまで構想していた、盆栽を美しく魅せるための美術館建設の着手に至りました。
2000年、小林氏が52歳の頃、奈落の底から再び這い上がる挑戦が始まりました。資金不足の中で、壮大な計画を実現するために自ら大工仕事にも取り組み、貴重な盆栽や鉢を売却するなどして資金を集め、建築に必要な銘木を求めて全国を飛び回りました。
計画の実現には、最終的に15年もの歳月を要したそうです。特に、一番奥の部屋(屋久杉の間)は、基礎工事が完了した後も上部の建築が思うように進まず、5年間も基礎のままで放置せざるを得ない状況が続きました。
しかしながら、小林氏の情熱は何にも屈することがなかったそうで、
「子供の頃は大工になろうと思っていたほど手先の器用さに自信があったし、何より木とものづくりが本当に好きでした。自分で建築設計もしましたし、本当にこの美術館構想に、この一本に懸けました」と、小林氏は語ってくださいました。
建築設計にあたっては、何度も京都や全国各地を訪ね、多くの書籍を参考にし、華美な意匠にならないように、抑えて作り込んだそう。
美術館の平面図は全て自身で手掛け、適切な高さの位置決めのために古材を購入し、実際に組み立てた後、ビニール紐を張って高さを見積もり、俯瞰で眺めながら建物を作り上げていきました。小林氏の感性によって、全てが創り出されたのです。
「お金をかけた建築は誰もができる。だけど、品の良い建築は誰もができない。私はそう思います」
実際に銘木を買い集めて、自ら大工工事を行なった小林氏の言葉には重みがありました。
表面的な美しさに囚われず、見栄のための太い柱などは使用せず、常に「盆栽を活かす場所」にふさわしい建物を追求しました。この判断基準は、建設当初から一貫して変わることはありませんでした。
この姿勢こそが小林氏の誇りであり、来館者を惹きつける魅力となっていったのです。
「盆栽を芸術作品として昇華させるためには、盆栽そのものの魅力は勿論だけれども、魅せ方(建築要素)も格調高くする必要がありました。そのため、位取りや意匠は細心の注意を払って決めました」と、小林氏。
魅せ方にこだわるため、建築に使用されている銘木選びを大工さん任せにせず、木場や全国各地の銘木屋などを巡り、太さなど細かな寸法も含めて実際に自分の目で見て仕入れてきたそうです。
「どうすれば盆栽を格調高く披露できるか」
小林氏の建築意匠へのこだわりを、解説していただきました。
「主役である盆栽を芸術作品として魅せるために、框を二段敷いて格調高さを強調しています」
二段框
【真の間】
床框は黒の真塗り
床柱は、三面柾の檜
真の間
【行の間】
床框は、漆の溜塗
床柱は、北山杉の絞り丸太
行の間
北山杉 絞り丸太
【草の間】
床框は、杉の面皮付
床柱は、香節(コブシ)の皮付丸太
草の間
杉の面皮付
コブシの皮付丸太
床の間は、季節やお客様に応じて様々な床飾りが使われます。それらの収納のために、地袋や天袋といった収納が非常に便利な役割を果たしています。
しかし、小林氏は視線を盆栽に絞り、不要なものを視界に入れないようにするため、地袋や天袋を作らずに、盆栽を美しく飾ることに徹しています。
事務所入り口の桁には、綺麗な檜が使われており、大工さんから「この檜は三面無節だから見せた方が良いですよ」と提案されたそうですが、綺麗な檜が目立つと、盆栽が貧弱に見えてしまうということで、一面は壁として閉じたそう。
この決定に大工さんからは、「勿体ない。せっかくの無節なのに…」と言われたそうですが、小林氏の目的は盆栽を格調高く飾ることにあり、主役は盆栽という信念が建築意匠に表れています。
無節の檜桁_事務所
無節の檜桁
裏面(事務所内側の面)は左官仕上げで閉じている
盆栽を美しく魅せるために、銘木をどのように使われているのか、小林氏に詳しくお話いただきました。
「私の目的は、盆栽と水石を、格調高く引き立てて美しく魅せることです。その中で、私は常に “本物” を作りたいと思っています。建物に使用する銘木が本物であれば、盆栽も本物でなければなりません。そして最終的に、私たち人間も本物でなければならないという考えです。ですから、私たちはすべてにおいて本物にこだわってきました。貼り物などは一切使用していません」
「この秋田杉は、秋田の能代で製材している銘木屋まで行って購入したんですよ。現地まで実際に行って見てるんです。それで気に入って購入しました」
*天然秋田杉は、木曽檜、青森ヒバとともに日本三大美林の一つに数えられる、日本の銘木です
秋田杉の10mの天井板
美しい杢目が裏玄関まで続く
「この屋久杉は、密になった木目が凄いし、なにより油がすごいんですよ。表玄関に飾っている“ウィルソン株”は、安土桃山時代に切られた木ですけど、買った時に米糠で一回拭いただけで、これだけ油が出ているんですから、木の生命力につくづく驚かされます」
大きく立派なウィルソン株(屋久杉)
そのほか、裏玄関の上り框には、幅の広い立派な屋久杉が使われています。
裏玄関 上り框が屋久杉
屋久杉の緻密な木目が美しい
奥の部屋、『屋久杉の間』には、3.6mの屋久杉の天井板が貼られています。
長さ3.6mの屋久杉の天井板
「本当に木でも何でも良いものは、”品格”と”存在感”、この二つです。だから私は、やっぱりあの屋久杉のウィルソン株の存在感と質感に惹かれ、その真髄を感じています。内面からくる強さというのもあります。コンクリートには内面から出てくるってのはないですよね。木には内面からやってくる、木目とか、そういう力というのは感じますね」
また、その感性は日本人特有の美意識にも通じていると言います。
「杉の魅力や良さは、おそらく日本人にしか理解されないかもしれません。本当に素晴らしいものですよね。例えば、この框材も、わざと面皮を残したまま削って、そこに色艶を出すという。これは特別な感性ですよね」と、小林氏は感慨深げに語ってくださいました。
杉の面皮付
小林氏の育てる盆栽、銘木を使った建築、錦鯉が泳ぐ池と庭園。
細部に宿る心遣いや景色には、日本人特有の感性が込められています。
木を神様として崇め、しめ縄を巻いて、どんな草木にも八百万の神様を感じる日本特有の風土や文化、外国の方には理解し難い分野だと思われてきましたが、ここ春花園BONSAI美術館には、年間約3万2千人もの外国人が訪れています。
「侘び寂びを見出す価値観は、日本人ならではの独特な感性ですよね。木にしめ縄を巻くことも、神様が宿っているという考え方を持つことも、日本独特の風土が育んだ感性なのです」
庭園には錦鯉が泳ぐ池もある
「木の枝ぶりなどは、まさに神の技ですよね。人間が成せる技ではなく、素晴らしいものです。ここには建物、盆栽、錦鯉など、日本文化が凝縮されて詰まっています。外国の方々も、徐々にそれに気づき始めているからこそ、このようにたくさんの人々が訪れるのでしょうね。彼らは日本という国の文化を少しずつ学び、自分たちの文化や美意識の違いを理解しようとしているのです」と、海外から多数の観光客が訪れる理由を小林氏は教えてくださいました。
園中央の立派な真柏
「最終的に、『盆栽の魅力は何か?』と問われたら、それは “命の尊厳” なのです。私は盆栽を命と考えています。たとえば、この木も既に1,000年近く生きてきたわけです」
「1,000年近くも生き続けて、いま目の前にあるということ。ここに盆栽の魅力があります。一方で、銘木は伐られて、命を終えたとしてもこの空間に実際に使われて生きています。そこに美があり、命が感じられますよね」と、小林氏は説明されました。
小林氏後方の盆栽は樹齢千年
事務所の外壁には、立派な真柏が飾られていました。
小林氏は笑顔で話しながら教えてくださいました。「これは北海道の大雪山(だいせつざん)で見つけた枯れ木ですよ。立派な真柏だったので、オークションで手に入れました。見てください、この木は龍の顔に似ていますね。上の顔が厳しくて雄で、下が雌です。夫婦の関係なんですよ。そして別の場所には子供もいますよ」
自らこの真柏をゴシゴシと削り、磨き上げられたとのこと。「これを見てください、どう見ても互いに合体しているでしょう?」と、楽しそうに話してくださいました。その表情はまるで無邪気な少年のようでした。
龍神様を説明する小林氏
真柏の龍神様
龍神様の子ども
「この子は枯れさせてしまった盆栽ですよ。向こうにお墓もあるんだけど、枯らした木に対して本当に申し訳ないという思いで、きちんと盆栽供養をしています」
枯らした盆栽も祀っている
盆栽供養のお墓
〈あとがき〉
「なぜ小林氏の盆栽は、国境を越えて人々を魅了するのか?」
この問いについて、私は取材を通じて “命の尊厳” という言葉が大きな意味を表しているように感じました。
過去には、売れる盆栽を追求していた時期もあったそうですが、様々な経験を積む中で、“魅せる盆栽”づくりへと作風は変貌を遂げていきました。
その転換は、生きることは痛みを伴うということを身を持って経験し、それでも懸命に生き、そして生きることの美しさと尊さを見出した実体験の影響も大きかったのではないかと思いました。
このような経験から、小林氏が育てる盆栽からは、厳しさ、美しさ、儚さなど、まさに命の尊厳に溢れているように感じます。
まるで人間をじっと見ているかのように、堂々と。
小林氏が育てる盆栽には生命力と趣が感じられます。
小林氏自ら設計した春花園BONSAI美術館では、ゆっくりとさまざまな視点から盆栽を楽しむことができます。ぜひ足を運んでいただき、その魅力を味わっていただきたいと思います。
盆栽という日本の伝統文化における象徴と、その盆栽を活かす銘木のお話でした。
取材にご協力いただきました小林國雄様、館長・神様に心から感謝申し上げます。
©️2023 Yamato meiboku Corporation.
10:00 ~ 17:00
月曜定休(祝祭日は開館)
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【参考文献】