新潟県小千谷市を拠点とする広井武彦氏。
その経歴は特殊で、宮大工としての修行と実践を積み重ねた後、数寄屋建築という全く異なる世界でも修行を重ねた、稀有な存在です。
宮大工として培った技術と経験に加え、数寄屋建築の美意識と感性も兼ね備え、これら二つの道に通じる独自の視点と技を持つことで、幅広い木造建築の現場で活躍されています。
神社建立の棟梁として、またある時は数寄屋建築士として駐日フランス大使館に茶室を設えるなど、幅広い施工事例をもっています。木を扱うプロとして、広井氏の視点に注目するのは業界関係者のみならず、美術大学の名誉教授や神社庁の宮司といった専門家など多岐にわたります。
宮大工としての経歴では、上皇上皇后両陛下の即位礼の儀に使用された木材の仕上げにも携わるなど、木を生かす超一流の技術を持つ広井氏。今回は、広井氏に欅の玉杢の成り立ちと鉋掛けにおける極意についてお話を伺いました。
玉杢(たまもく)は、木目の模様のことで、楕円や丸い玉のような形が浮き上がるのが特徴です。
まるで水中に浮かぶ泡を切り取ったかのような立体的な美しさをもつ玉杢は、非常に珍しく、欅やタモといった限られた木材にのみ現れます。その気品ある美しさゆえ、玉杢は装飾品や献上品、工芸品としても用いられてきました。
しかし、この美しさを引き出すには高度な加工技術が必要です。とりわけ鉋(かんな)掛けは慎重を要し、刃の角度を誤ると玉杢が飛んでしまうこともあり、細心の注意が求められます。
広井氏によると、玉杢の正体は木が根元から吸い上げる樹脂の痕跡だといいます。木の根元中心から樹皮側(外側)へ向かって移動する樹脂が、木目の中に楕円や丸い模様を残すのです。こうしてできた玉杢は、樹皮に近い外側で特に顕著に現れ、芯(中心)に近づくにつれて少なくなる傾向があります。
なぜ樹脂が玉杢として視覚化されるのか。それには木の樹齢が深く関係しています。
樹齢300年ほどまでの若い木は、樹皮側へ樹脂がスムーズに移動し、抜けていきますが、樹齢300年を超えた木では白太(樹皮近く)が層を重ねて硬くなるため、樹脂が外に出にくくなり、中に留まって屈曲することで玉杢が視覚化できるようになります。時間が経ち、樹齢が増すほど、玉杢は木の中心部まで緻密に深く入るといいます。
玉杢には芯があり、どの方向に樹脂が抜けようとしていたかがわかります。「玉杢の芯の方向を見極め、木目に沿って鉋を掛けることが肝要だ」と広井氏は言います。玉杢の芯の位置や樹脂の抜けていく流れを読み取らなければ、逆目(さかめ)での鉋掛けによって木肌を損なう可能性があるからです。
一枚板の玉杢すべてに対して流れを見極め、慎重に鉋掛けするには根気と高い技術が求められます。
最後に、欅の玉杢の一枚板を広井氏が鉋掛けした際の写真をご覧いただきます。
広井氏が実際に欅の玉杢の一枚板を鉋掛けした際の写真を見ると、杢が浮き上がり立体的な輝きを放っています。その美しさに触れると、銘木に宿る自然の造形美と、広井氏の手による加工技術の妙を感じずにはいられません。
この欅の玉杢の一枚板には、広井氏の長年の経験と技術の結晶が刻まれています。広井氏の手で丁寧に施される加工技術により、玉杢の一枚板は美術的な価値も併せ持った唯一無二の存在として新たな命を得るのです。
飛鳥時代から口伝によって受け継がれてきた宮大工の技術は、日本の歴史と伝統文化の根幹を支えてきました。その技術には、長年の経験と緻密な技が求められるだけでなく、木材がもつ生き方や癖を見極め、まるで木と呼吸を合わせるかのように、丁寧に刃物を入れる職人の姿勢も含まれています。
本記事を通して、こうした宮大工の皆様がどのように銘木と向き合い、培ってきた技術を生かしているかを少しでも多くの方々に知っていただければ幸いです。
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株式会社 広井建築
代表取締役 広井 武彦
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