京都市北区中川を中心とする北山地域は、北山杉の産地として広く知られています。北山杉には、「磨き丸太」や「絞り丸太」など、多様な種類と特別な生育技術が込められていることも特徴です。
例えば、「磨き丸太」は、樹皮を剥いた木材の表面を「菩提の滝」で採取された特別な砂で丁寧に磨き上げ、木が持つ自然の美しい木肌を引き立てます。
「絞り丸太」は、天然と人工の2種類に大別され、それぞれに自然の美しさと職人の技が凝縮されています。
北山杉 絞り丸太
こうした個性を活かした北山杉は、桂離宮、修学院離宮、大徳寺といった歴史的な建築物に使用され、その名声は全国に広まりました。
今回は、北山杉の誕生から現在に至るまでの歴史、そして自然と職人技によって育まれた北山杉の特徴や魅力について、中源株式会社の代表である中田様にお話を伺いました。
北山林業の起源は、源氏が平家から逃れ、北山集落に辿り着いたことに始まります。北山は急峻な山脈に囲まれ、平坦な土地が少なく、周囲が森林に覆われていたため、自然と林業が生業となりました。
北山には、伐採された木材を運ぶのに最適な大きな川がなかったため、人力で運べる大きさにて流通させる必要がありました。これにより、北山杉は細く育てざるを得なかったのですが、ただ細いだけでは流通が難しかったため、定期的に枝を払ってフシがない木を育て、木の長さを伸ばす技術が発展しました。
その甲斐あって、細くても年輪が詰まった硬く、素晴らしい銘木が誕生したのです。こうした工夫により、北山杉は他に類を見ない唯一無二の銘木として評価されるようになりました。
浅く水量の少ない川では、木材を輸送できなかった
明治時代以前は、集落へ通じる道は細い山道しかなく、外部からのアクセスが極めて限られていました。そのため、北山地域独自の林業技術や道具が他所に流出することなく独自の発展を続けていくことができました。近隣の鯖街道では多くの往来がありましたが、北山はその隔絶した地理的条件により、外部からの影響を受けずに独自の技術を磨くことができました。
明治時代になって初めて北山に大きな道が開かれ、北山杉が全国に知られるようになりました。これにより市場が急拡大し、全国的に北山杉の認知度と価値がさらに高まりました。
さらに、京都御所や皇居にも北山杉が使用されている由縁もあり、昭和55年(1980)には、上皇陛下、上皇后陛下、今上陛下(皇太子殿下のころ)も北山へ行幸啓になられるなど、北山杉が日本の歴史に深く根付いていることが次第に示されるようになりました。
今上陛下、行幸の様子(皇太子殿下のころ)
独自の発展を遂げた北山杉の歴史は、まさに先人たちの偉大な林業技術の賜物です。中でも、北山杉の台杉仕立ては、北山林業を象徴する革新的な発明でした。この技術により、北山杉は厳しい自然環境を乗り越えながら、持続可能で高品質な木材供給を可能にし、今なお北山林業の象徴として受け継がれています。
樹齢450年の台杉の巨樹
「台杉仕立て」とは、北山杉を育てる独特の方法で、手のひらを広げたような形の「取り木」から、垂直に伸びる「立ち木」を成長させて伐採する技術です。室町時代中期に、垂木丸太の生産を目的として考案されました。
「取り木」から伸びる枝の中で、成長に優れた2〜3本を次代木として集中的に育て、適切な大きさに達したものから順に伐採します。同時に新たな後継樹も育成し、100〜200年にわたってこのサイクルを繰り返します。約200〜300年にわたり育成され、1本の株から数百本にもおよぶ高品質な木材が生産されます。
一本の株から数百本もの北山杉を生産
新芽の成長におよそ20年ほどとサイクルが早いため、台杉仕立ては環境への負担を低減しながら木材を得ることができます。また、雪害などの影響を最小限に抑えながら、良質な垂木丸太を育てることにも成功しています。
このような観点から「台杉仕立て」は、世界で唯一サステイナブルな林業として、ドイツ、イタリア、フランスの国営テレビでも紹介され、世界中から視察に訪れるほどの注目を集めています。
北山林業は急峻な山脈と栄養分の乏しい土壌という厳しい条件下で発展しました。
加えて、雪害や台風といった自然災害によって、1度に20万本を倒木で失うという惨劇をこれまで何度も経験してきました。
これらの猛威に耐えながら、植林後およそ35年もの間、木の成長を待つ苦労も並大抵ではありませんでした。そのため、安定的に丈夫な苗を育てていくのが一番の課題でした。
こうした厳しい条件に対処するため、先人たちは「台杉仕立て」という革新的な育林方法を編み出しました。台杉仕立ての発想は、台風や雪害で倒れた木の枝が地面と接し、再び発根して育つ「伏条木(ふくじょうぼく)」から得られました。
京都の片波にある大きな伏条木を見た先人たちは、この自然現象を人工的に再現できないか考え、実践し、成功したのです。
京都・片波に自生する伏条台杉の巨木:出典『京都京北ナビ』さま
これにより、台杉仕立ての場合、山に植林せずとも毎年安定的に木材を伐採することが可能となり、北山林業の大きな功績とされています。
すべての北山杉が台杉仕立てで育てられるわけではありません。北山林業では、山に植林して育てる「単木仕立て」も行われています。
北山林業の特徴的な点は、「台杉仕立て」と「単木仕立て」のどちらにも、母樹である「白杉」の枝から採取した挿し木を用いて育林していることです。
単木仕立ての様子
樹齢600年ともいわれる白杉の巨樹は、樹高50mに達し、天に向けて真っ直ぐと伸びています。
この白杉から育てられた丈夫な苗が、厳しい環境を乗り越えるための原動力となり、北山杉の品質を支えているのです。
前述の通り、北山は林業にとって非常に厳しい立地条件を持つ地域です。
そこで、この環境下で、真っ直ぐに伸び続け、自然災害にも耐えられる強い遺伝子を持つ苗が必要とされ、白羽の矢が立ったのが、中川八幡宮に生える「白杉」でした。
樹齢600年、樹高50mを超える大きな白杉
母樹「白杉」は、樹齢600年を超えてもなお、樹形が崩れず、真っ直ぐに天に向けて立ち続けています。この白杉から採取した枝から挿し木で増やした子孫たちが、北山の山々に育林され、また台杉となり、北山の風景を形作っています。この優れた遺伝子が、北山林業の基盤となっているのです。
実は北山杉には20種類ほどの品種が確認されており、「白杉」は、その1種類です。
「白杉」の最大の特徴は、天に向かって真っ直ぐに成長することです。通常、木は成長の過程でこれらの影響を受けて捻れたり、曲がったりしますが、「白杉」にはそれがありません。
白杉の特性に加え、密集した状態で植林(密植)すること、熟練職人による枝打ち技術、皆伐方式による伐採が、北山杉が真っ直ぐ綺麗に育つ理由に挙げられます。
北山杉は厳しい環境の中で育ち、母樹「白杉」の遺伝子を100%受け継いでいます。この優れた遺伝子を持つ木々を、職人たちがその特性を理解し、慎重に育て上げることで、最高品質の木材が生み出され続けているのです。
このように、北山林業は独自の歴史と技術によって発展し、その成果は今なお日本林業の宝となっています。
枝締めとは
夏場の伐採に備え、早春に木の成長を抑制するために行われる作業です。木の枝を完全に払わず、あえて枝先を少し残す下処理のことで、次のような利点があります。
① 木が秋の状態、つまり休眠期に近い状態となり、夏場でも皮が剥きやすくなります。
② 夏に皮が剥けるということは、夏目で皮が剥けるため、年輪の白い部分が極端に薄くなり、木肌が柔らかく仕上がります。
この柔らかさにより、木が湿度の変化に適応し、割れにくくなります。
③ 先端に枝葉を残すことで、丸太の芯から水分が抜け、光沢と艶があり、割れにくい丸太をつくることができます。
④ 急峻な谷で秋に伐採すると、木が乾きにくくなりますが、夏場の伐採では日照時間が長く、乾燥が進みやすくなります。
本仕込みとは
真夏に北山杉を伐採し、枝葉を残したまま他の立木に立てかけ、木を立てた状態で皮を剥いて天日乾燥させる手法です。一般的には、伐採後に地面へ降ろしてから、または倉庫に運んでから皮を剥くため、本仕込みは非常に危険とされています。しかし、自然の力を利用して木の水分を抜く点で仕上がりに大きな差が生まれるのです。
本仕込みの様子(樹景撮影:小杉 正太郎氏)
高さ7m以上の高所での皮剥き(樹景撮影:小杉 正太郎氏)
枝締めと本仕込みを組み合わせることで、木の中心部の水分は芯と枝葉から適度に抜け、樹皮側は太陽と風で乾燥します。これにより、人工乾燥機と同様の効果が木に負担をかけず自然の力で得られ、割れにくく、湿度変化にも強い木材になります。
こうして仕上げられた北山杉は、特有の光沢と美しい色艶を持つ、特別な北山杉になるのです。
技術の継承が難しい現状
ただし、すべての北山杉が枝締め、本仕込みで処理されるわけではありません。本仕込みは真夏の厳しい作業であり、怪我や事故の危険が伴います。そのため、近年では職人が減少し、これらの技術は失われつつあります。
供給が止まると同時に、この技術の利点を理解する人も減少し、先人たちが自然の摂理を最大限に活かして発明した貴重な技術が消えかけているのです。
本仕込みの様子
北山杉特有の艶やかで美しい木肌は、最後の工程「砂磨き」によって生まれます。この伝統的な技術は600年もの間変わることなく受け継がれており、皮を剥いた北山杉はそれぞれの生産者の倉庫にある池で、「菩提の砂」と呼ばれる特別な砂を使って、女性の手によって優しく磨かれていきます。
女性の手で優しく磨かれる
こうして、一般的な木材の5〜6倍の手間をかけて仕上げられた北山杉は、まるでわが子のように丹精込めて磨き上げられ、京都御所や桂離宮、大徳寺といった名だたる建築や茶室、数寄屋建築、個人邸宅などに使われ、日本の銘木として文化の発展に深く関わってきました。
「菩提の砂」の起源には、次のような逸話があります。昔、旅の僧が病で倒れ、中川の村人に助けられました。懸命な看病により元気を取り戻した僧は、お礼として「菩提の滝の滝つぼにある砂で丸太を磨けば、きっと綺麗になりますよ」と村人に伝えました。
菩提の砂
村人がその砂で丸太を磨くと、丸太は見事にピカピカと輝き、中川産の北山杉は都で大変な人気を博しました。
近年の調査によって、この「菩提の砂」には「ジルコン」というダイヤモンドに匹敵する宝石成分が含まれていることが判明しました。また、砥石の成分である砥の粉も含まれており、これらの細かい粒子が北山杉の木肌を優しく研磨し、北山杉の輝きと美しさを引き出しています。
現在、機械化が進む中でこの作業を行う生産者は減少しつつありますが、手作業で磨かれた北山杉の木肌には、薄皮のような膜が残り、柔らかくしっとりとした滑らかさが感じられます。
美しい北山杉の木肌
北山杉が真っ直ぐに育つ秘訣は、密な植林(密植)と「枝打ち」という技術も関係しています。
北山では1ヘクタールあたり約6,000本もの木を密集させて植林し、その後、間伐によって徐々に木を減らし、最終的には約4,000本までにします。密植することで、木々は互いに競り合うようにして陽が射す天に向かって真っ直ぐに伸び、風や他の外的影響から保護されながら成長します。
近年では、山に入って間伐を行う人手不足が課題となり、植林の間隔を空けることも増えました。しかし、間隔を広げると、陽当たりの良い部分の枝が急速に伸び、木が曲がり、独特の癖がついてしまうことがあります。
そのような時に重要となるのが「枝打ち」技術です。熟練の枝打ち職人は、どの枝を伐るべきか見極め、内側に抉るように枝を払います。これにより、枝葉の成長が均等に保たれ、節が出ることなく、木が真っ直ぐに育っていくのです。職人たちは、等間隔に植えられた北山杉の木々の間を、高さ10m以上の高所で飛び移りながら作業を進め、一帯の枝を丹念に払います。この高度な技術と経験が、北山杉の美しい木肌と強靭な構造を支えているのです。
また、北山では区画ごと伐採する皆伐方式が採用されており、一区画の木を一斉に伐り、同じ区画で植林を繰り返します。この循環が整うことで、ほぼ同じ速度で木々が成長し、次の世代の植林や伐採がスムーズに進むのです。北山の美しい林相景観は、この皆伐と植林によるサイクルがもたらす好循環によって保たれており、山々の持続可能な保全に繋がっています。
美しい林相が広がる北山
北山杉は単一の品種ではなく、細かく分類すると約20種類にも及びます。例えば、天然の「出絞(でしぼ)」だけでも5~6種類があり、さらに中源株式会社の祖先が発見した「中源」という品種も存在します。また、「磨き丸太」や「人造絞り丸太」など、職人技による加工の違いによっても多様な分類があり、その多様な表情が北山杉の独自性を生み出しています。
これにより、北山杉は唯一無二の銘木として長く重宝されてきました。
ここでは、天然北山杉の特徴や人造絞りの開発にまつわるエピソードをご紹介します。
現在最も多く植えられているのが「柴原(しばはら)」系統の品種です。この品種は植林において扱いやすいという利点がありますが、樹高6メートルを越すと少し曲がってしまうことがあります。そのため、6メートル以上の長尺材を取るのには向きませんが、6メートル以内の丸く美しい良材を求める際には最高の素材となります。
「白杉」は固有の品種で、台杉仕立てにも単木仕立てにも使われるため、最も有名な品種の一つです。前述の通り、真っ直ぐと伸びる特徴があり、桁などの長尺材が必要な場合、最適とされるのが白杉です。白杉は非常に硬く丈夫である一方で、割れやすいという特徴も持っています。木材の割れは自然な現象であり、これは白杉に限らず、すべての木に共通する性質です。
また、白杉の特徴的な部分として、芯が黒く、シロアリに強いという点が挙げられます。宮崎の林業試験場でも、芯が黒い杉はシロアリに食われにくいことが証明されました。そのため、構造材として非常に安心できる材種です。
「チリメン絞り」と呼ばれる品種は、「秀絞(ヒデシボ)」とも呼ばれています。
天然のチリメン絞り
名前の由来は、戦時中、中田社長の祖父が伐採の役人を務めていた際、山番頭であった谷山秀次郎氏から「素晴らしいものを見つけた」との電報が届き、祖父様とお父様が自転車で一晩かけて“祖父谷”へと駆けつけました。
到着後、木の皮を剥いてみると、見事な「チリメン絞り」の木肌が現れたのです。この発見に感動し、葉っぱを中川に持ち帰り、挿し木をして育てたところ、見事に立派なチリメン絞りが誕生しました。
現在でも、中源では谷山秀次郎氏に敬意を表し、「ヒデシボ」と呼んでいます。
天然の「チリメン絞り」は、自然の力で柄が形成される非常に希少な品種で、明治時代に高価で取引されました。
これを見て、人工的に絞りを作る方法が模索され、大正時代に新谷(シンタニ)氏が山に生えるツツジを削った「あて木」を北山杉に巻きつけて試行錯誤し、ついに大正11年(1922)に完成しました。
完成した丸太は非常に高価で取引きされ、「シンタニ絞り」と呼ばれるようになり、他の職人たちもこぞって模倣しました。
手前3本がシンタニ絞り
しかし、他の職人たちが通常3年で完成させるのに対し、新谷氏の絞りは特別な技術を要し、10年もの歳月をかけて仕上げる非常に手間がかかる作業でした。
枝が伸びるたびに払い、生育を抑えつつ、絞りを木に徐々に食い込ませていきます。その過程で、絞りの表情が人工的になりすぎないよう、巻きつける圧を少し緩めながら痕をぼかすことで、自然な風合いを残します。
左から4本目までがシンタニ絞り、右から3本は他職人による絞り
この工程は、普通の職人ではなかなかできないほど細かく繊細な技術と労力が求められました。
残念ながら、この技術は現代には受け継がれることなく、シンタニシボリの製作は終わりを迎えつつあります。
以上が、北山林業の始まりから現在に至るまでの歴史です。
川を利用した搬出が難しかったこと、細い木ならではの特徴を活かす必要があったこと、さらには北山杉の中で木肌の違いを際立たせ、独自の価値を持たせたことが、北山杉を唯一無二の銘木へと成長させました。
必要に迫られ、編み出された北山林業の技術は、独自の文化として発展し、今も続いています。林業において、その技術の成果が確認できるのは伐採期を迎える30年後です。つまり、幾人もの先人達の試行錯誤と長い時を経て完成されるのです。このようにして培われた技術の結晶こそが、現在の銘木文化を支えていると言っても過言ではありません。
残念ながら、これらの技術の継承は難しい時代を迎えていますが、台杉自体が残っていればこそ、次世代へこの貴重な技術を伝承することは可能です。
名建築や茶室、床の間に使われる北山杉に触れるとき、先人たちの知恵と努力によって生み出されたものであることを考えると、非常に感慨深いものがあります。
日本の銘木文化を象徴する北山杉のお話でした。
取材にご協力いただきました中源株式会社、代表・中田様に心から感謝申し上げます。
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